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久し振りに訪れた松山

 5月のGW明けに松山に行ってきた。
学生時代の5年を過ごした場所だ。
5年もいたのに大学の周囲ぐらいしか知らない。本当に狭い範囲で生活したわけだ。
最後の1年は卒論と1単位を残していた。
半年間授業に出られない時期があったため、単位不足での留年。
1単位と卒論だけだから、半年遅れの卒業も可能だったが、諸事情を考え1年遅らすことにした。

 松山へはもう少し前、できれば1000円高速の頃に行きたいと思っていた。
その時は電話口で優しく辞退された。
「こうして電話で話ができただけで満足じゃがね。友情に感謝しておるから」と。
昨年の年賀状の最後には「静かにしておいて下さい。友情を信じて」と書かれていた。
それでも本当は行くべきだったと今では後悔している。

 今年1月3日、娘さんから電話があった。
「大丈夫です。父はまだ亡くなっていませんよ。生きていますから安心して下さい」
ただ、入院されているようで、もう年賀状を書くことはできないので、年賀状の代わりに娘さんが近況を知らせる電話をしてくれたのだった。

 学生の頃、世話になった人だ。
道後温泉の商店街横で小さな車でたこ焼きを売っていた。
苦しい生活だったと思うが、そんなことは一言も言わず、筋を曲げずに生きて来られた。
筋金入りだった。その後も一度も変節せずに、生きて来られた。
家族は大変だったと思うが、奥さんはそんな彼を優しく支え続けていたように見えた。
奥さんが心臓病を患ったのは、そんな生活が祟ったのかもしれない。
程なく心臓病が悪化し他界された。

 いつか一緒に酒を飲んで昔話をしたいと思いつつ、とうとう今日になった。
「君の友情に感謝している。だから静かにしておいて欲しい」
そう言われてまで押しかける勇気はなかった。
男には人に見せたくない美学もある。
でも2年前ならまだ話ができたのに・・・。

 病室ではずっと手を握っていた。
もう私の呼び掛けに応えることも、顔を動かすこともできない。
それでも彼の目から涙が一筋だけ流れた。
私だと気付いてくれたのかどうか・・・、分からない。
3度ほど彼は何か短い言葉を発したが、私には聞き取ることができなかった。
その言葉は果たして私に言ったのかどうかさえ分からない。
緑内障で糖尿病。
もう自分では何一つできなくなっていた、食べることも。

 何も語り合うことはできなかったけど、それでも来てよかった、会えてよかった。
昼夜仕事をしているため娘さんとも会えずに、松山を去った。
帰路携帯に電話があった。
「機会があればまた来て下さい。私よりお兄さんの方が父の昔のことを知っている
のじゃないかと思います。そういう話を聞きたいし」

 1泊2日で行ったが、道後温泉にも入らず、松山の繁華街・大街道も歩かず、病院と大学だけ寄った旅。
 大学は緑が増え、すっかり学舎らしくなっていた。
立て看も張り紙もなく、学内はすっかりきれいに、静かになっていた。
感慨にふけったのは校舎の2階を眺めた時。
「あそこから落ちたのだ」
今思い返しても運がよかったと思う。
後30cm上下左右どちらかにずれていたら半身不随の寝た切りか、頭を打ってこの世にいなかっただろう。
「悪ふざけでもしていて落ちたのかと思っていたけど、そうではなかったのか」
松山まで運転手をかって同行してくれた弟が、あの頃のこと、あの時代のことを少し感じてくれたようだった。





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