上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ITを捨て、書を持ち、旅に出よう。

 久し振りに渇きを覚えた。それは怒りにも似た渇きだった。
無性に精神(こころ)が渇き、その渇きをどこかにぶつけたくて、昔はよく彷徨ったものだ。
恐らくそんな時は三角な目をし、足速に歩いていたに違いない。
そんな顔を見られるのが嫌で、外に出る時はサングラスをかけるようになった。
「片目のジャック」がもう一つの世界を見ないように、いつも片目に眼帯をしていたように。
 だが、ぶつける相手はもういなくなった。渇きを覚えることも少なくなった。
それだけ歳を取ったのかもしれない。
「まだまだ丸くはなりたくない」と思いつつも、気が付けばすっかり牙を抜き、丸くなっていた。

 「書を捨てよ、町へ出よう」と言った(書いた)のは寺山修司だったが、彼がこの言葉を引用したのはアンドレ・ジッドの「地の糧」からだ。
「ナタナエルよ、書を捨てよ。町へ出ようではないか」
そこにはこう記されていた。
 「本を読むな」。魯迅はそう言った。なんという矛盾。なんというパラドクス。
魯迅も寺山も読書量では人後に落ちなかったはずだ。
その2人が同じことを言っている。
「書を捨てよ」と。


 私が今よりもっと若い頃、そう、40前後の頃は九州大学理学部の教授とよく飲みに行き、議論をした。
互いが互いの渇きを癒すように、何時間も2人で話した。
文学を、政治を、社会を。しかし、彼が逝ってもう15年以上。
 以来、私の渇きを癒してくれる相手は本以外になくなった。
そして時々、怒りにも似た激しい渇きに襲われることがある。
そんな時は書店に行き、書棚を眺め、ページを捲ることで、精神の渇きを癒してきた。

 今回、久し振りに、それも突然、渇きが私を襲ってきた。
いままで塞き止めていた堰が切れたようだった。
こうなると、やむを得ない。我慢していたが、もう水を飲むしかないわけで、ジュンク堂に行き何冊かの書を買った。
「自由貿易という幻想(エマニエル・トッド)」「世界を騙しつづける科学者たち(上下)」「資本主義以後の世界(中谷巌)」「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上下)」
 E.トッドは最近、私が気に入っている人類学者

 当時、構造改革路線を積極的に推し進め、格差社会を作り上げながら未だ反省の弁もないどころか、まだ構造改革が不十分だと吹聴している輩とは大違いで、中谷氏の真摯な態度を大いに評価したい。

 ☆以上、一部抜粋。


 ★全文は「まぐまぐ」から<無料>で配信しています。

  (前)(後)は「まぐまぐ」内の「栗野的視点」からお読み下さい。
   http://archive.mag2.com/0000138716/20120313125249000.html

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
プロフィール

kurino

Author:kurino
FC2ブログへようこそ!

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。