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福岡・舞鶴公園の梅が五分咲きに

福岡・舞鶴公園の梅

 今週は気温も上がり日中はかなり暖かくなったので、

梅見物に訪れる人も随分増えてきたようだ。

歩行困難者を一人で搬送できる簡易型階段避難車

階段をソリで降ろしているところ

 マンションや老人施設・介護施設などで、上層階から歩行困難者を一人で搬送できる簡易型階段避難車「カイダンサット」をジュンコンサルタント(福岡市早良区百道浜4-2-1-1006)が開発した。

 階段の途中で手が離れても滑り落ちず止まるのが大きな特徴。

 詳細は「九州の技術」内の「マンション等の階段を楽に避難搬送できる・カイダンサット~ジュンコンサルタントが新開発~」

過去の八百長は否定?

 日本相撲協会はついに春場所と年内巡業の中止を決定した。
放駒理事長は「膿を出し切るまでは土俵上で相撲をお見せすることはできない」と記者会見で述べたが、「膿を出し切る」とはどの膿のことなのか。

 今回、八百長を認めた4人の処分で終わるのか、それとも今回、八百長を疑われている14人の処分か。
過去には八百長が存在しなかったと言っている以上、14人の処分程度で終わりそうな気配だ。
これだけでも相撲協会にしてみれば一大決心、徹底処分だろうが、八百長相撲の歴史は古い。
過去の八百長に対しても調査解明しなければ真の解決にはならない。
「過去の八百長」といっているのは問題になっている朝青龍の取り組みのことだけではない。
もっと遡って、いま相撲部屋を経営している親方の現役時代の取り組みにまで目を向け、明らかにする必要があるだろう。

 外国人力士が始めたとか下位力士が始めたということではないのは皆分かっているはずだ。
もっと前からやっていたことだし、その歴史は部屋の力士に代々引き継がれてきている。
今回はたまたま野球賭博事件関連で発覚しただけで、14人の問題ではない。
 野球賭博事件の時もそうだが、名前が挙がらなかった力士や親方はそのまま頬かむりをしたままだ。
もし本当に改革する気があるなら、相撲部屋経営の仕組みから変える必要があるだろう。
「過去には八百長が存在しなかった」とシラを切るのではなく、もう正直に皆認めた方がいい。

八百長は相撲の歴史

 以前から取りざたされていた八百長相撲の問題がついに表に出た。
それも具体的なやりとりがメールという形で残っていた。
アナログ時代なら紙に書いて受け渡ししていたのだろうが、デジタル時代はそんな面倒なことはしない。
ケータイメールという便利なものを使ったことが逆に証拠を残すことになった。
紙なら破いたり燃やせば、それですべて消えてしまうが、デジタルはそうはいかない。
目の前から消えたように見えても記録は残っている。
消したと思っている記録を復元させることができるのだから恐ろしい。

 それにしても八百長の歴史は古い。
今日や昨日のことではなく、まだテレビがモノクロの時代、いやもっと昔から行われていたようだ。
一時「無気力相撲」が注意されたことがある。
あれは明らかに八百長だろう。
どうせ負けるのだから、力は明日の取組のために温存したい。
そういう気持ちが無気力な取り組みをなさせたに違いない。

 しかし、それではあまりに露骨すぎる。
もう少し上手にやれ。
せっかく見物しにお客様が来ているのだから、もう少し楽しんで帰ってもらえるような取り組みをしろ!
そんなお達しが出て「無気力相撲」はなくなった。
だが、それで八百長がなくなったわけではない。
もっと上手になっただけだ。
7勝7敗の5分の星が千秋楽にはほとんど8勝7敗で勝ち越していたのもそのひとつだろう。

 相撲を国技だスポーツだと言い立てる人もいるが、本当に皆そう思っているのだろうか。
プロレスと同じようなショーでもいいじゃないか。
どうせ改革するなら、もっと顧客志向に立って、徹底的にショーの要素を取り入れてみるというのはどうだろう。

買い物難民ではなく、飽和時代の商品欠乏化現象

 マスコミ等で「買い物難民」という言葉が言われているが、難民とは政治的迫害等を受け逃げてきた人のこと。

いま地方や都市部で起きているのは「買い物に不自由をしている人」で難民ではない。

言うなら「飽和時代の商品欠乏化」である。

時として言葉は物事の本質から目を逸らせるのに使われることがある。

「買い物難民」という言葉は問題の本質から目を逸らし、高齢者の問題に矮小化している。

いま、この国が抱えている問題はかつてのように都市と地方という単純な対立構図ではなく、地方の中、都市の中でも「商品欠乏化現象」が起こっているという二重の二極化現象が見られるからややこしい。

こうした問題解決に期待できるのは(期待したいのは)団塊の世代と、引きこもり、ニートと言われる層である。

ベースになるのは社会との「静かな関わり」、ボランティア精神だ。

もういい加減に我々は新自由主義的思考と決裂するべきだ。


 「グローバルとローカル~飽和時代の商品欠乏化」も一読を

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