兵庫県宍粟(しそう)市山崎の国道沿いに、ほぼ年中無休で営業している小さな鉄工所がある。
近くの大歳神社に千年藤の写真を撮りに行き、その鉄工所の存在に気付いたのだが、
鉄工所はどこも不況業種で、暇にしているところが多い。
仕事が激減し廃業した所も多く、宍粟市も例外ではない。
それなのに、この鉄工所は休日も営業していたし、暇そうにTVなど観ているわけではなく、
忙しそうに仕事をしているのだ。
なぜ、そんなに仕事があるのか、忙しいのか。
話をしてみると意外なことが分かった。
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平地と違い、この辺りの桜は遅く、まだあと数日はなんとか楽しめそうだ。
一心行の大桜以外にも周辺に見ごたえがある桜が点在しているのが南阿蘇村の魅力だ。
一心行の桜の他の写真は
「栗野的風景」にアップしているので、そちらもどうぞ。

カタクリの花が咲く日本の南限が広島県安芸太田町のカタクリの里だ。
例年なら4月8日(日)までのオープンだが、今年は寒さで開花が
遅れたため15日まで見ることができる。
この期間を過ぎると山は閉鎖される。
明日と明後日は多くの見物客で賑わうはずだ。

福岡・舞鶴公園の桜はもう6,7分咲きだというが、兵庫県たつの市・世界の梅公園の梅は
例年より遅れてやっと散り始めたぐらい。
岡山県北の津山・梅の里公園の梅はいまがほぼ満開。
日本、狭いようで案外広い。
県北の桜はやっとほころび始めたばかりで、まだ梅の季節だ。

上2枚の写真は兵庫県たつの市・世界の梅公園で撮影したもの。
撮影日は3月25日。

この梅は紅加賀という種類の梅。
世の中には驚くようなことがよくある。
昔は地方の人はあまり他人を騙したり誤魔化したりしなかった。
コミュニティが存在していたからだ。
ところがコミュニティが壊れてから、地方の真面目さ、正直さも一緒に壊れてしまった。
実は最近、玄関周りの腰壁のモルタル塗りと室内の壁紙張替えを行った。
たまたま近くの家が改装工事を岡山県美作市のNインテリア(平福の道路沿いにインテリア関係の店舗を出している)に依頼していたので、当方もついでに内装工事をしてもらうことにしたのだ。
ところが、それがよくなかった。
やはり業者はよく吟味して頼むべきだ。
近くだからというだけで頼むものではない。
1部屋の壁の張替えに3日もかかった。
正味日数は2日だが、乾かすために中1日取られたのだ。
これが説明不足で、初日の工事が終わってから、その部屋は工事完了まで使えないということが分かったのだ。
ところが、この部屋は居間で寝室と台所の真ん中に位置しているため、そこを封鎖されたままだと夜寝るわけにもいかない。
その日の工事が終わると道具等を片付け、一応元に戻して帰るのかと思っていたが、工事の関係道具等を部屋なの中に置いたまま、「このままにしておいて下さい」と帰ってしまったのだ。
しかも翌日は乾燥のためだけだから職人は来ない。
だが、こちらはその部屋が使えない。
我が家は2階があったから、その夜は2階で寝られたからよかったが、その辺りの説明も全くといっていいほどなかったものだから、寝る直前に寝場所をどこにするかと慌てた。
さらに3日で終わらせると言いながら、もう1日かかるかもしれないと、Nインテリアの社長が来て言う。
冗談じゃない。土曜日にはこちらは朝から福岡に帰るのだから、何が何でも金曜日中に終わらせてくれ、と怒る。
この社長には嫌な予感がした。
はっきり言うと信用できない。
その予感があたった。
後日請求書を持ってきたらしいが、その時はすでにこちらは福岡で、美作にはいなかったのだが、
母からの連絡で金額を聞くと見積書で8万円台だった金額が10万円台にアップされていたのだ。
とんでもない業者だ。
とりあえず美作に帰った時に交渉することにし、それまで支払いはストップしている。
それにしてもひどい業者がいるものだ。
こういう点では都会の方がまだましかも分からない。
はなからこちらが用心して業者選びも慎重にするだけに。
久し振りに渇きを覚えた。それは怒りにも似た渇きだった。
無性に精神(こころ)が渇き、その渇きをどこかにぶつけたくて、昔はよく彷徨ったものだ。
恐らくそんな時は三角な目をし、足速に歩いていたに違いない。
そんな顔を見られるのが嫌で、外に出る時はサングラスをかけるようになった。
「片目のジャック」がもう一つの世界を見ないように、いつも片目に眼帯をしていたように。
だが、ぶつける相手はもういなくなった。渇きを覚えることも少なくなった。
それだけ歳を取ったのかもしれない。
「まだまだ丸くはなりたくない」と思いつつも、気が付けばすっかり牙を抜き、丸くなっていた。
「書を捨てよ、町へ出よう」と言った(書いた)のは寺山修司だったが、彼がこの言葉を引用したのはアンドレ・ジッドの「地の糧」からだ。
「ナタナエルよ、書を捨てよ。町へ出ようではないか」
そこにはこう記されていた。
「本を読むな」。魯迅はそう言った。なんという矛盾。なんというパラドクス。
魯迅も寺山も読書量では人後に落ちなかったはずだ。
その2人が同じことを言っている。
「書を捨てよ」と。
私が今よりもっと若い頃、そう、40前後の頃は九州大学理学部の教授とよく飲みに行き、議論をした。
互いが互いの渇きを癒すように、何時間も2人で話した。
文学を、政治を、社会を。しかし、彼が逝ってもう15年以上。
以来、私の渇きを癒してくれる相手は本以外になくなった。
そして時々、怒りにも似た激しい渇きに襲われることがある。
そんな時は書店に行き、書棚を眺め、ページを捲ることで、精神の渇きを癒してきた。
今回、久し振りに、それも突然、渇きが私を襲ってきた。
いままで塞き止めていた堰が切れたようだった。
こうなると、やむを得ない。我慢していたが、もう水を飲むしかないわけで、ジュンク堂に行き何冊かの書を買った。
「自由貿易という幻想(エマニエル・トッド)」「世界を騙しつづける科学者たち(上下)」「資本主義以後の世界(中谷巌)」「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上下)」
E.トッドは最近、私が気に入っている人類学者
当時、構造改革路線を積極的に推し進め、格差社会を作り上げながら未だ反省の弁もないどころか、まだ構造改革が不十分だと吹聴している輩とは大違いで、中谷氏の真摯な態度を大いに評価したい。
☆以上、一部抜粋。
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なぜテレビ朝日は面白くないドラマを作り続けるのだろうか。
沢口靖子が出るドラマと、名取裕子が出るドラマのことだ。
前者は科捜研の女、後者は二言目には「主婦の勘」という検事が主役のドラマである。
どちらも酷いドラマだ。
酷いというのは、非現実的、ありえない構図ということだ。
テレ朝にはドラマ作りのプロはいないのかと思ってしまう。
こういうドラマがシリーズで何年も放映されるというのは、脚本家もいい加減なのだろう。
例えば科捜研の女。
沢口靖子(演技が下手で、何に出ても皆同じような演技しかしない)扮する主人公のマリコは科捜研の1法医研究員なのに、自分の上司である所長もまるで同僚か部下のように使うばかりか、まるで捜査刑事のように振る舞う。
科捜研というのは科学捜査、つまり鑑識などから送られてきた材料を最先端機械を使って分析する所で、鑑識と違って現場に出ることなどありえない。
ドラマだから多少の粉飾はやむを得ないが、あまりにも事実とかけ離れた設定では見ている方も面白くない。
なにより耐え難いのが沢口靖子の演技だ。
驚いたのはその沢口が出ているCM。
暗い表情で、一本調子な演技しかしない彼女が、どこかのCM(といっても出ているCM数は非常に少ないが)の中で、「大事なのは笑顔ですよ」と社員に言っていたのにはかなり違和感があった。
スポンサーはよくこういうCMを許したものだ。
名取裕子は映画出身女優だからもう少しましかと思っていたが、TVドラマに出だしてからどんどん面白くなくなっている。
やはり人間易きに流れると演技も荒れてくる。
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